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ローマ 8:30 には、「なぜなら、神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」とあります。では、この部分は漸進的聖化の教義を裏付けているのでしょうか?
この部分は漸進的聖化について述べているのではありません。多くの神学者やにせ伝道者が、「イエスを信じる者は徐々に変化し、完全に肉と霊が聖化されます」と教え、大勢がそれを信じてきました。
しかし、実際のところ、まだ新たに生まれていないキリスト教徒は、自身がより頑なになっていくのを見出すのです。その人々の心の中の罪は、年をとるにつれて増していきます。人間の聖化がどうして時とともに起こるのでしょう。「漸進的聖化」という語は、神が最も憎まれ、悪魔が好んで用いたがるものです。
人間が義人となれるのは、自分では罪から逃れる道がない時だけです。イエスがバプテスマによって罪をすべて洗い流され、ご自分で贖われて聖化なさったのですから、人間が義人となれるのは、すべてイエスのバプテスマと血のおかげなのです。人は、イエスがすべての罪を被られたということへの信仰によって義人となるのです。
「聖化」というのは、「聖くなる」という意味です。自分で聖くなろうとすることは、真理を信じることではなく、自身の弱い肉によって動かされることです。
漸進的聖化を望むことはまた、人間の霊的欲求によるものです。各宗教には、それぞれ聖化についての語がありますが、イエスを信じる者は、決して言葉自体にとらわれてはなりません。
人間はイエスを信じることによって徐々に聖くはなりません。イエスのバプテスマと血、すなわち霊的割礼の福音を信じて、一度で永遠に義人となるのです。真の義人とは、イエスのバプテスマと血の福音への信仰によって新たに生まれた者です。
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