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いいえ、そうではありません。御霊は、人間が何か良いことをしたから来られるというようなことはありません。つまり、人間の意思や願いには関わりがないのです。では、どうすれば御霊を受けることができるのでしょう。御霊は、その人が罪を告白して赦されたからといって宿られるのではありません。御霊は、人が水と御霊の福音を信じて罪の赦しを受けると、永遠にその人の内に宿られるのです。御霊は、ごくわずかでも罪のある人の内には宿られません。 しかしながら、罪を告白して赦しを乞うなら御霊は宿られるのであり、そうしなければ宿られないと考える人が大勢います。これは、まったくの誤りです。聖書は、五旬節の日に御霊が使徒たちの上に来られたとしています。しかし、よろしいですか、使徒たちが御霊を受けたのは祈りによってではなく、水と御霊の福音を信じるようになって罪を赦されたためなのです。 御霊は神の霊です。御霊は罪の赦しを受けて聖化された義人に来られるのです。聖書で、「聖い」というのは「罪がない」ということだとしているのは、どういうことでしょう。違反を犯すたびに告白し、赦しを祈って罪を取り除くことは、神の目には完全な赦しではありません。神の前で一つ残らず罪を告白することができるなどと、誰が言えるでしょう。 イエスは神の人類救済のご計画にしたがってヨハネからバプテスマをお受けになり、十字架上で血を流されたと信じる者だけが、完全な罪の赦しと御霊とを賜物として神から受けるのです。それなのに、自分なりの努力によって御霊を受けようとする人々が多いのは、心に完全な罪の赦しを受けていないためです。 真の御霊は、告白によっては来られません。人が水と御霊の福音を信じて罪をすべて赦されたとき、御霊は自動的にその人のところに来られます。これが、神の前に御霊を受けるための信仰の肝要な要素なのです。 サタンが人間を滅びに定めました。ローマ人への手紙第 8 章 1 節には、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」と記されています。 |