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イエスの弟子たちは、罪の赦しによって罪から救われて御霊を受けたのですか、それとも、罪の赦しとは関係のない、別の出来事があったのですか?
御霊を受けることは、贖いの体験と別々のものではありません。聖書を読むと、弟子たちは御霊を受ける前にすでに、イエスがヨハネから授けられたバプテスマによって世の罪をすべて被られたことを知っていたことがわかります(ペテロI 3:21──そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです)。
罪の赦しとは、罪からの救済です。つまり、これは、心の罪がみな洗い流されて消えることを意味します。今日、多くのキリスト教徒は、イエスがくださった罪の赦しの意味についてしばしば勘違いをしています。人々は、どうしたら罪の赦しを受けられるのか知りません。単にイエスを主と信じているから、それで罪から救われていると考えます。
罪の赦しを受けている者は、内にその証人がいます。しかしながら、贖いをあかしする言葉をもたないのなら、その人は御霊を受けていませんし、罪をすべて赦されてもいません。御魂に満たされた感覚があるのなら、それは、自身の感情に欺かれているにすぎません。サタンは自らを光の御使いに変え(コリントII
11:14-15、ガラテヤ 1:7-9)、欺いて真理から離れるように仕向けます(マタイ 7:21-23)。
罪を赦されている者は、水と御霊の福音を信じているために、内にあかしがあります。ヨハネの手紙第一第 5 章 4-12 節で神は、水と御霊によって来られたイエス・キリストをあかしなさっています。さらに、異なった霊や異なった福音を説くなら(コリントII
11:4)、その人は罪の赦しも御魂も受けていないとおっしゃいます。水と御霊の福音によって来られたイエス・キリストを信じてはじめて、人は罪の赦しを受けるのです。御霊を受けることは、罪の赦しのために不可欠です。罪の赦しは御霊を受けるために必要なのです。
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