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  • 贖いのいけにえ
  • 旧約──他のいけにえ同様、イスラエル人全員の聖化のためのいけにえは幕屋の中でささげられました。大祭司は自らを清め、それから通常の儀式用の衣ではなく、聖い亜麻の衣を着、罪のためのいけにえとして若い雄牛を、そして全焼のいけにえとして子羊を、自分と家族のために選びました。大祭司は両手をささげ物の頭に置いて、人々の一年の罪を移しました。

    手を置くことは、贖いの日の肝要な部分でした。それが行なわれなければ、いけにえをささげることはできませんでした。罪の贖いは、手を置いてイスラエル人の一年分の罪を罪のためのいけにえの上に移すことなしには完了しなかったのです。

    レビ記第 16 章 21 節には、「アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ」とあります。

    アロンは、罪のためのささげ物として二頭の山羊を、全焼のいけにえとして一頭の子羊を、人々から受け取りました (レビ記 16:5)。それから二頭の山羊を幕屋の入口の主の前に連れて行き、くじを引いて、一頭を「主」のもの、もう一頭を「アザゼル」のものに決めました。

    主のものに当たった山羊は罪のためのいけにえとしてささげられ、アザゼルの山羊は、イスラエル人の一年分の罪を贖うために生きたまま主の前に連れて行かれ、それから荒野に放たれました (レビ記 16:7-10)。

    イスラエル人の罪は、大祭司が手を置くことによっていけにえの山羊の上に移されなければなりませんでした。それから、イスラエル人の罪をすべて負ったいけにえは、人々と神の和解のために、荒野に放たれました。このようにして、イスラエル人の一年分の罪が洗い流されました。

    新約──同様に、イエス・キリストは、神の救済を成就なさるために、バプテスマのヨハネからバプテスマ (旧約では手を置くこと) を授けられ、いけにえの子羊として世の罪をすべて取り除かれました (レビ記 20:22;マタイ 3:15;ヨハネ 1:29、36)。

    旧約では、くじを引く前に、アロンは自分と家族のための罪のためのいけにえとして若い雄牛を殺しました (レビ記 16:11)。それから、主の前の祭壇から火皿いっぱいの炭火と、粉にした香りの高い香を両手いっぱい取り、垂れ幕の内に持って行きました。それから主の前で香を火にくべ、香の煙が『贖いのふた』の上に漂うようにしました。アロンはまた、雄牛の血の一部を持って行き、指で『贖いのふた』の前に七回散らせました (レビ記 16:12-19)。

    贖いの日、ささげ物の頭にアロンが手を置くことを省くことはできませんでした。アロンは山羊の頭に手を置き、イスラエル人の罪と不正をすべてその頭に移しました。それから、係りの者が山羊を荒野に連れて行き、放しました。いけにえはイスラエル人の罪を負って荒野をさまよい、最後には彼らに代わって死にました。これが、旧約での典型的な贖いのいけにえでした。

    新約でも同様ですが、ただ、こちらではイエス・キリストがいけにえの山羊の代わりとなられ、バプテスマによって世の罪をすべて被られ、人類に代わって十字架上で血を流して死なれました。

    ですから、今はすべての罪からの救済は、天の大祭司イエス・キリストのバプテスマと磔刑なしにはもたらされないのです。これが、水と血と御霊によって新たに生まれる救済の完了なのです。


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