救済・聖霊・幕屋・ヨハネの黙示録についての聖書学習のための無料キリスト教図書

ホーム  |  サイトマップ  |  お問い合わせ   |  ヘルプ    
聖書学習 無料
キリスト教図書
無料
キリスト教電子ブック
団体概要
 



 キリスト教信仰についてのFAQ

 

  • 水と御霊の福音について簡潔に説明してください。
  • どこか外で針をなくしたら、たぶん落としたあたりを探すでしょう。しかしながら、ただ中のほうが明るいからといって家の中を探すのは、おかしなことです。今日の教会には、そんなおかしな人々がいるのです。そうした人々は、信者の水のバプテスマについての果てしない聖書解釈の議論の只中に飛び込みがちですが、「なぜイエスはバプテスマのヨハネからバプテスマを授けられたのだろう」という重要な問いを自らに問おうとはしません。そうした傾向のため、今日のキリスト教社会には数多くの教派や分派が存在しています。

    こうした絶え間ない議論を終わらせるには、混沌とした村から出て針をなくしたところに戻らなければなりません。心から真理を見出したければ、宗教の村の中にそれは見出せないのですから、既成の型から抜け出すことが必要です。なぜ使徒たちは、イエスのイエス・キリストのバプテスマをそんなにも重視したのでしょう。彼らがイエスから受けた水と御霊の福音の真理は、全世界に宣べ伝えられました。

    イエスは、「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ神の国にはいることができません。」(ヨハネ 3:5) とおっしゃいました。聖書は、イエスは人類を罪から救われるために水と血とによって来られたとしています (ヨハネI 5:6)。「血」とは、イエスの十字架上での死を意味します。では、「水」とは、何のことでしょう? バプテスマのヨハネは、なぜイエスにバプテスマを授けたのでしょう? 主は、なぜバプテスマを授けられる前、「今はそうさせてもらいたい。このようにしてすべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」(マタイ 3:15) とおっしゃったのでしょう?

    みなさんには水と御霊の福音、とりわけイエスのバプテスマを理解し、信じていただきたいと心から思います。次に、イエスが弟子たちにお与えになった水と御霊の福音についての簡潔な説明があります。使徒たちは福音を説く際に、イエスのバプテスマを特に強調しました。使徒パウロは、「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと」(コリントI 15:3-4) と言いました。

    キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれた」とは、どういうことでしょう? これは、イエスの死が、旧約で神が定められた方法によって、人類の罪のすべてを贖ったことを意味します。イエスは旧約の啓示と契約とに従って、人類のために死なれたのです。ヘブル人への手紙第 10 章 1 節には、「律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても」とあります。レビ記第 1 章 3-5 節にある典型的ないけにえをみてみましょう。罪人は、罪の贖いのために全焼のいけにえの三つの条件を満たす必要がありました。

    1) 傷のないささげものを連れて来ること (レビ記 1:3)。
    2) いけにえの頭の上に手を置くこと (レビ記 1:4)。ここで、神の律法について確認しておきましょう。ささげものの頭に手を置くことは、罪をその上に移すために神の定められたことなのです。
    3) 罪を贖うためにそれを殺すこと (レビ記 1:5)。

    贖いの日、アロンは生きた山羊の頭に両手を置き、その上でイスラエルの子らの不正と不法、彼らの罪のすべてを告白し、山羊の頭に移しました (レビ記16:21)。当時、アロンはイスラエル人の代表でした。彼だけが山羊の頭に手を置いたのですが、それによってイスラエル人の一年分の罪 (二、三百万) がその上に移されたのです。旧約のいけにえは、やがて来る良いものの影です。イエスは、神のみこころにしたがって、聖書にあるように人類を聖化なさるためにご自分をささげられました。

    まず第一に、傷のない神の子羊となられるために、イエスは人間の肉の形で来られました。イエスは神の一人子で、「神の本質の完全な現れ」(ヘブル 1:3) です。ですから、すべての人類のための罪のためのいけにえにふさわしいのです。

    第二に、バプテスマのヨハネは、ヨルダン川でイエスにバプテスマを授けました。バプテスマは、「手を置く」形で行なわれました。また、バプテスマのヨハネはアロンの子孫で、全人類の代表者でした。ヨハネがイエス・キリストの頭に手を置いたとき、世の罪のすべては神の定められた法に従ってイエスの上に移されたのです。イエスはヨハネに「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」とおっしゃり、ヨハネはイエスにバプテスマを授けました。人類のすべての罪は、ついにイエスの上に移されました。その翌日、ヨハネは言いました。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ 1:29)


    第三に、イエスは人類の罪のすべての赦しのために、「完了した」とおっしゃって十字架上で死なれました (ヨハネ 19:30)。人類を神の前で義となさるために、イエスは死者の中からよみがえられました。よろしいですか、罪のためのいけにえが、罪の赦しのためにささげられたのです。罪人は、いけにえを殺す前にその頭の上に手を置かなければなりませんでした。ただ一つの手順でも忘れると、つまり、ささげものの頭に手を置くことをしなければ、不法を行なったことになって、贖われることができませんでした。キリスト教徒がイエスのバプテスマの意味するところをまったく知らないのであれば、そうした人は心に罪をもっていて、信仰によっては救われることができないのです。

    たいていのキリスト教徒は、イエスの正しいみわざの半分しか知りません。使徒ヨハネは第一の手紙で、福音について明確にしています。「このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。」(ヨハネI 5:6) 聖書には、イエスのバプテスマが人類救済のための正しいわざを完了なさるうえでいかに重要なものであるかを裏付ける部分がたくさんあります。すべてのキリスト教徒は水と御霊の福音に戻るべきです。

    リストに戻る


    印刷用画面   |  

     
    Bible studies
        説教
        信仰声明
        福音とは
        聖書用語
        キリスト教に関するFAQ

       
    Copyright © 2001 - 2019 The New Life Mission. ALL RIGHTS reserved.