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 キリスト教信仰についてのFAQ

 

  • どちらが正しいのですか。大艱難前携挙ですか、大艱難後携挙ですか? 大艱難の間、聖徒はまだ地上にいるのですか?
  • キリスト教の歴史を見ると、現在に至るまで偽りを言う人々が無数に現われていることがわかります。こうした嘘つきたちは黙示録を解釈し、自分なりの方法で携挙の時を計算し、特定の日を携挙の日と定め、その自分で選んだ日に主が戻られて聖徒は携挙されると教えました。

    しかしながら、そうした主張はみな、誤りでした。こうした人々に共通しているのは、いずれも大艱難前携挙説を支持している点です。大艱難の前にみな携挙され空中に引き上げられるのだから、この世の財産は何の役にも立たないと会衆に言って、こうした嘘つきたちは大勢の人々を欺き、物質的富を奪ってきました。

    よろしいですか、これは、こうした嘘つきを通してこの世界のすべての人々を欺き、自分のしもべにしようとの、サタンのずるがしこい計略なのです。

    聖徒にとって最も重要であり、最も関心がもたれているのは、聖徒の携挙がいつ行なわれるのかということです。黙示録第 10 章 7 節には、「第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神ご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する」とあります。「神の奥義は……成就する」とは、どういう意味でしょう? 「神の奥義」とは、聖徒の携挙のことにほかなりません。

    神の七つのラッパの災害のうちの第六のものが終った後、反キリストがこの地上に現われ、世界を支配し、すべての人に獣の印を受けるよう要求します。彼の迫害を受けて聖徒は殉教します。その後間もなく第七のラッパが鳴り、この時点で、信仰を守って殉教した聖徒と生き残っている聖徒によみがえりと携挙が起こるのです。

    第七のラッパが鳴ったとき、神はこの地上に災害をもたらされません。そうではなくて、これは聖徒の携挙が行なわれる時なのです。携挙の後で、神は即座に七つの鉢の災害を地上に注がれます。ですから、神の七つの鉢の災害の時には、聖徒はこの地上にはおらず、空中で主とともにいるのです。よろしいですか、聖徒の携挙は第七の御使いが最後のラッパを鳴らしたときに起こるのです。

    しかしながら、今でも多くのキリスト教徒はまだ大艱難前携挙説を信じ続けています。彼らの信仰は自然災害の到来と反キリストの出現への備えをしませんから、究極的にはサタンと反キリストに対する霊的戦いに敗れ、そのしもべとなり、世界とともに滅ぼされます。

    七年間の大艱難の前半三年半は、七つのラッパの災害の時代で、この地上は天災によって荒廃します。太陽の三分の一と星々の三分の一が暗くなります。この地上の森林の三分の一が焼かれます。海の三分の一が血となり、生物の三分の一が死にます。隕石が空から落ち、水の三分の一を苦よもぎに変えます。こうしたことの結果、大勢の人々が死にます。これらの災害によって世界は混乱状態になり、国々や地域は互いに対立し、戦争がいたるところで絶え間なく起こります。

    ですから、反キリストが現われてこの混沌とした状態の中ですべての問題を解決すると、多くの人々は彼に従い、それによって、最も恐ろしい災害をこの地上に招くのです。

    ですから、この世界は政治的に統合された国際組織、国々の共通利益を追求する管理制度の登場を見ます。この国際的連合国家は反キリストの出現とともにサタンの手中に落ち、神と聖徒に敵対する国家になります。この国際的な連合国家の支配者はすべての国々を支配し、究極的には反キリストとして働きます。サタンの力をもって働く者は神の敵であり、悪魔のしもべです。

    反キリストはその本性を表わし、人々が真の神を信じることを禁じ、代わりに自分を神として崇めるよう強制します。このために、彼は人々の前で多くのしるしを見せ、サタンの力によって、世界のどうしようもなく混沌とした状態をあっさりと解決し、それによって人々の心を捉えます。

    最後には、彼は自分の姿の像を造り、それを神として拝むよう人々に要求します。そして、この艱難の時にすべての人を支配下に置くために、自分の印を右手か額に受けるよう強制し、印を持たない者に売り買いを禁じます。彼はまた、自分を拝むことを拒む者を、どんなに大勢になろうと、みな殺します。ですから、その名が『いのちの書』に記されていない者は、みなこの印を受けて、獣を拝むことになるのです。

    しかしながら、聖徒は反キリストに屈することも印を受けることもしません。御霊が心に宿っているために、彼らには万物の支配者である神だけが主として崇める対象なのです。ですから、聖徒はサタンと反キリストを拝んでしもべとなることを拒み、信仰によって殉教し、そうして彼らに勝利するのです。

    黙示録第 13 章 10 節には、次のようにあります。「とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」反キリストがこの世界に現われて人々に自分のしるしを受けるよう強制するときには大艱難の前半三年半が過ぎており、後半三年半が始まります。このときに聖徒が反キリストによって迫害され、殉教するのです。

    しかし、反キリストの権力掌握と聖徒の迫害とを、神はごく短期間しか許されません。主は聖徒のために艱難の期間を縮められるためです。このとき、聖徒は反キリストに対して戦い、殉教によって信仰を守って勝利し、神に栄光をささげます。

    大艱難の前半三年半を経験した後で新たに生まれた聖徒は、大艱難の後半が始まる殉教の時までこの地上にとどまります。ですから、彼らはサタンと反キリストに対して戦い、信仰によって勝利しなければなりません。黙示録で、神は勝利する者に天国をお与えになるとおっしゃっているのは、このためです。そこで、大艱難前半の三年半が過ぎて反キリストが現われる前に、聖徒は教会で主の保護と指導のもと、信仰を養っていなければなりません。

    ですから、人はみな、キリスト教社会に広まっている大艱難前携挙説というサタンのにせの教義から解放され、水と御霊の福音を今信じることによって、罪の赦しを受け、新たに生まれ、神の教会に加わるべきなのです。そうしてはじめて、その信仰は大艱難の前半三年半の間に神の教会によって養われ、そうしてはじめて、激しい艱難の時が訪れても、それによって反キリストと戦い、殉教を受け入れることのできるような信仰をもつことができるのです。






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