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主題 10: 黙示録

[第6章-2] (黙示録 第 6 章 1-17 節) 七つの封印の時代

(黙示録 第 6 章 1-17 節)
 
黙示録の各章の主題は、次のようにまとめることができます。
第1書 – 黙示のみことばの序章
第 2-3章 – アジアの七つの教会への手紙
第 4章 – 神の御座に着かれているイエス
第 5 章 – 父なる神の代理として御座に着かれるイエス
第6章 - 神の定められた七つの時代
第7章 – 大艱難から救われる人々
第8章- 七つの災害を告げるラッパ
第 9章 – 底なしの穴の災害
第 10 章 – 携挙はいつ起こるか
第11章 – 二本のオリーブの木と二人の預言者は 誰か
第 12章 – 大いなる苦難に臨む教会
第 13章 – 反キリストの出現と聖徒の殉教
第14章 - 聖徒のよみがえりと携挙。空中で神をたたえること。
第 15-16章 – 七つの鉢の災害の始まり
第 17章 – 大水の上に座っている大淫婦のさばき
第18章 – バビロンの崩壊
第19章 – 万物の支配者の治める御国
第 20章– 千年王国
第 21章– 天から下る聖都
第 22章 – いのちの水の流れる新たな天と地
 
第1章に始まって、黙示のみことばの各章には主題があり、読み解いていくと、どれも最終章につながります。ローマ人への手紙で第1章が導入部で、第2章がユダヤ人への神のみことば、第3章が異邦人へのみことばであったように、黙示録もまた各章ごとの主題とともに進行します。
みことば全体に基づいて黙示録を説明しているのは、あまりに多くの人々があらゆる種類の説を立てて黙示録について論じており、それらの憶測的視点から黙示録を読むならば、深刻な誤りを犯してしまうことを免れないためです。
聖書は御霊によって導かれた神の民が記したものなのですから、修正の必要は全くありません。それに対して、世俗的な書物には誤りがあって、どんなに良い文章で、また、豊富な知識に基づいたものであっても、数多くの修正が必要です。が、神のみことばは何千年も伝えられてきたにもかかわらず、全く変わっていません。長い年月が経っていますが、神のみことばは完璧なままです。御霊によって心に導きを受けた神のしもべによって書かれたものだからです。
神のおっしゃりたいことは聖書に隠されています。そのため、多くの人は聖書についてあまりよく知らずにいます。しかし、創造の初めから、聖書はただの一度も変わっていません。それなのに、神のみことばとご計画について不十分な理解しかしていないために、大勢の人々が聖書を自分の考えで解釈するようになりました。
神は誰にでもその秘密を明かされるわけではないので、神を崇めてみことばにしたがって信じることをせず、神の名をいたずらに用いて自らの欲望を満たそうとする者は、決して真理を見ることができません。つまり、罪のある人々は、どんなにがんばってみても黙示のみことばを理解することができないのです。みことばを理解できないために、あらゆる種類の誤りが犯されています。中には終わりの時について無益な幻想を抱くようになり、研究してイエスの再臨の時を告げるようになったり、あるいは聖書の内容について自己流に誤りだらけの聖書解釈をする人々がいるのです。
よく知られている神学者の中でその代表となるのは、千年王国否定説を唱えたアブラハム・カイパーとルイス・ベルコフ、大艱難前携挙説を唱えたC. I. スコフィールドです。が、これらの学者の唱えた説は、いずれもただ彼ら自身の考えに基づいた誤った教えです。
そもそも、保守主義者の説いた千年王国否定説は、独立した千年王国というものはなく、この王国は今この地上に生きている聖徒の心の中で成就されていると主張します。千年王国否定説は、将来千年王国が実際に建設されることを否定します。この「説」は千年王国を象徴的なものととらえ、聖徒がイエス・キリストの戻られるのを待って生きる千年間の支配期間であるとしています。しかし、千年王国は大艱難なしにすでに聖徒の心の中に実現されたとする千年王国否定説の説く解釈は、はなはだしい誤りです。
しかしながら、千年王国否定説よりさらに世界中で広く信じられているのは、スコフィールドの説いた大艱難前携挙説です。この「ディスペンセーショナリズム」は、神のご計画そのものを歪めることになりました。神は宇宙創造の前に七つの時代をご計画になり、時とともにご計画に従って成就なさってきました。しかし、黙示録第 6 章にあかされた神のご計画を知らない人々は、この誤った大艱難前携挙説を生み出したのです。彼らは、異邦人の中の新たに生まれた人々は大艱難の前に携挙され、イスラエル人の一部が七年間の艱難の期間中に救われると主張します。
この教義は多くの人々を大変な混乱に陥れる教義となっています。大艱難前携挙説の説くように聖徒の携挙が大艱難の前に起こるのならば、黙示録第 13 章に記されている迫害も殉教も起こらないでしょう。ですから、イエスの信者はこの大艱難前携挙説から抜け出し、携挙は大艱難のさなかに起こるのだと信じて信仰を備えなければなりません。
黙示のみことばは、定められた七つの時代によって神が世界を導かれることを示しています。黙示録第 6 章に述べられらている、神の定められた七つの時代のご計画の核心を見通さなければなりません。人々は聖書の七つの時代についての真理を知らないために混乱し、その信仰は不安定です。ですから、黙示録第 6 章に記されていることはそのまま信じるのです。そのためには、聖書のばらばらの断片だけを見て部分的に考えるのではなく、聖書全体であかしされている七つの時代についての秘密のみことばを信じることです。
水と御霊の福音が人々から隠されていたように、神の七つの時代もまた隠されていました。聖書研究者は黙示のみことばを理解しようとして自分なりの考えに基づいて多くの説を唱えましたが、黙示のみことばは、いまだにきわめて理解しがたいもののままです。これは、水と御霊の福音が今日まで隠されていたことによく似ています。しかし、キリストの再臨や聖徒の携挙、千年王国に関してこれまで研究者たちが考えてきたことは、イエスを信じる人々に何らの益ももたらしていません。
黙示のみことばを理解するには、第 6 章を理解することが絶対に必要です。この章が黙示のみことばのすべてを解明するうえでの鍵なのです。しかし、黙示のみことば全体を解明する前に、一つだけ心しておくべきことがあります。水と御霊の福音を知り信じることなしに黙示録を理解することは不可能です。神の真理は、まず水と御霊の福音を知り信じてはじめて理解可能になるのです。
黙示録第 8 章にあるように、「子羊が第七の封印を解いたとき」、七つのラッパの災害が地上に起こるのです。これは黙示録第 6 章に記されている第四の時代、青ざめた馬の時代の出来事を説明しています。ですから、まず神の定められた七つの時代を理解することなしには、七つのラッパの災害も理解できないのです。黙示のみことばの全体を理解するには、まず神がお与えになった水と御霊の福音を理解し信じなければなりません。
黙示録第 6 章のみことばは、神が人類をお創りになったときにご計画になっていたこと全体の概略を示しています。神は人類の初めから終わりまでを七つの時代に分けられました。
それは、 第一が白い馬の時代、第二が赤い馬の時代、第三が黒い馬の時代、第四が青ざめた馬の時代、第五が聖徒の殉教と携挙の時代、第六が世界の破壊の時代、第七が千年王国と新たな天と地の時代です。信者は、神がこのように人類についてのご計画をこれら七つの時代に分けられたことを信じて従います。現在、世界は白い馬の時代を終え、黒い馬の時代にあります。
聖書は、この時代は飢えの時代だとしています。しかし、青ざめた馬の時代もすぐ近くまで来ています。青ざめた馬の時代の到来とともに七年間の大艱難期に入り、聖徒の殉教の時代が始まります。この迫害と殉教の時代が青ざめた馬の時代なのです。
「子羊が第四の封印を解いたとき、私は第四の生き物の声が、『来なさい。』と言うのを聞いた。私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。」この「彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた」という部分では、反キリストが青ざめた馬の時代に現れ、聖徒を殉教させることを示しています。
青ざめた馬の時代に起こる出来事は黙示録第 8 章 1-7 節に記されています。それは、こう書かれています。「子羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。また、もうひとりの御使いが出てきて、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。すると、七つのラッパを持っていた七人の御使いはラッパを吹く用意をした。第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。」
黙示録第 8 章の七つのラッパの災害についての描写は、第 6 章に記されている青ざめた馬の時代の真理について詳細に説明しています。このみことばは、青ざめた馬の時代に起こる反キリストの出現と七つのラッパと七つの鉢の災害との詳細を記しています。
それに対して、第 4 章と 5 章は、イエス・キリストが神として世界とその後に来るものを支配なさり、父なる神のご計画のすべてが神であるイエス・キリストによって成就されることを告げています。ですから、黙示録第4章と5章から、本来のイエス・キリストが万物の支配者であっていかに強力であるかがわかるのです。
黙示録第8章には次のようにあります。「すると、七つのラッパを持っていた七人の御使いはラッパを吹く用意用意をした。第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現れ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。」青ざめた馬の時代になると、世界の森林の三分の一は焼け、この災害の後にさらに災害が続きます。
第一のラッパの災害は、木の三分の一と青草すべてを焼く災害です。この災害が世界を襲うと、世界の三分の一で燃えさかる大火によって発生したスモッグが日光が地上に届くことを妨げるため、残った森もまた荒廃します。作物は実らず、全世界は深刻な飢饉に陥ります。
この飢えの時代、一日の仕事で得た金ではほんの1クオート (約1リットル) にも満たない小麦か三クゥオートの大麦しか買えません。世界は今、この恐ろしい飢饉と飢餓の時代の到来に瀕しているのです。世界のこの飢餓は、肉体・霊の両方のものです。霊的飢餓はすでに今日の世界に存在しています。
現在の教会は、霊的なパンと水と御霊の福音の生活を世界と分かち合うことのできない、名前のみのキリスト教徒でいっぱいです。世界中の人々は、ヨーロッパからアジア、アメリカ大陸で今、滅びの時代に生きています。今日のキリスト教社会には、飢えた魂を養う霊的パンを提供する者はほとんどいません。
青ざめた馬の時代は、反キリスト出現の時代です。この時代には、天災のためにパンと水が乏しくなり、人々は大飢饉の中でかろうじて命をつなぎます。世界では科学の進歩が続くでしょうが、それでも生活水準はかつてないほど極端な貧困にまで下がります。そのような世界に生きる人々は、残って生き続けたいと思うでしょうか? 
この大艱難の時代、水と御霊の福音のみことばを信じ、殉教を受け入れて神に栄光をささげるのです。水と御霊の福音を信じる聖徒は、殉教によってすべての栄光を神にささげます。神は、信仰を守るために殉教した者たちを天に引き挙げ、子羊の結婚の祝宴に招かれます。
使徒パウロは、神の御国のためにしもべとなったと言いました。使徒たちは、大勢の人々が千年王国に入れるよう、水と御霊の福音を説きました。
大艱難の時代、イスラエル人の中からもイエスを信じて殉教し携挙される人々が出るでしょう。ですから、聖徒は青ざめた馬の時代の大艱難の期間を生きるのです。大艱難が始まると、災害に襲われた世界に秩序をもたらす者をこの世界の誰もが求めます。彼らは破滅的な自然災害によって起こった問題を解決する人、無数の政治的、経済的、宗教的問題を解決できる人を求めます。このときに反キリストが現われるのです。
最近、日本人作家がローマ帝国についての書物を著しましたが、これはひたすらローマの皇帝たちを賛美しています。著者の主旨は、世界はじきに絶対的な権力を振るう指導者を必要とするだろうという点にあります。多くの人々が著者に同意しています。大艱難の間、人々は世界を断固として治める強力な支配者を求めます。それぞれの地域に何人もの支配者をではなく、全世界にただ一人の強力な支配者が求められます。
現在、世界は多くの国や地域に分かれ、それぞれに指導者がいます。しかし、終わりの時には、人々はすべての問題を完全に解決できる、超人的な世界的指導者を求めます。世界は今、その指導者、全世界を支配する反キリストを待ち望んでいます。
聖書は、青ざめた馬の時代には反キリストが現われ、大いなる権力で世界の人々をすべてその支配下に置くとしています。聖書はまた、この青ざめた馬の時代には、地上に火が降り注ぎ、世界の森林の三分の一は焼かれるとしています。そしてこの時代が来ると、反キリストが世界を支配し、彼の印なしには誰ひとり何も売り買いできなくなります。このとき、聖徒は印を受けて偶像に礼拝することを拒んで殉教し、それから復活させられ、携挙されるのです。こうして青ざめた馬の時代が終わると、千年王国の時代が始まります。
主は、世界の破壊と大艱難とは盗人のように知らぬ間に訪れるとしています。ですから、今、大艱難と破壊の試練のすべてを乗り越えられる信仰を備えなければならないのです。この準備は、水と御霊の福音を信じることによってのみ可能です。しかし、準備していなければ、水と御霊の福音を信じない人々の上にすべての災害と破壊が降りかかるのです。
そういうわけですから、現在は黒い馬の時代であることをはっきり理解し、信じていることが必要です。最後の日が訪れる前に、水と御霊の福音を信じ、未来に備えるのです。
今水と御霊の福音を信じている人々は、殉教とともに携挙されます。裕福な人々は安楽な生活を続けることができず、貧しい人々は貧しさの中で生き続けることもありません。ですから、現在自分の身に起こっていることについて悲しんだり誇ったりしてはなりません。青ざめた馬の到来が迫っており、聖徒はみな、おそらくは殉教するのです。
ときおり、誰かがキリストの再臨の時期を自分で分析して、特定の日時を主のおいでになる日と告げ、多くの人々をそれによって誤り導いて、たいへんな混乱をもたらすことがあります。しかし、聖書によると、キリストの再臨は第七のラッパが鳴るまでは起こりません。ですから、聖書のみことばをもとに計算して、自分で主の戻られる日を割り出すような誤りを犯してはなりません。
また、キリストの再臨を夢や幻の中で見たという人々には注意が必要です。彼らの夢はただの夢に過ぎません。しかし、神はみことばによって携挙の時期がいつであるかを正確にお告げなのですから、みことばをこそ信じるのです。
青ざめた馬の時代、すなわち黙示録の第四の時代が来ると、殉教者は七つのラッパの災害とともに立ち、聖徒のよみがえりと携挙が起こります。
現在は神の定められた七つの時代のうちの第三の時代に当たることを知っておくことが大事です。現在は黒い馬の時代なのです。これを知っていれば、今、水と御霊の福音の種をまくことができます。そして今種をまくことによって、青ざめた馬の時代がきたときに収穫できるのです。
神の創られた自然界には、ほんの一週間で芽を出し、花を咲かせ、実をつけることのできる植物があります。そのような砂漠の植物のように、青ざめた馬の時代が訪れると、今宣べ広げている水と御霊の福音を信じて救われた人々は、主が予定なさった聖徒のよみがえりと携挙に加わります。大艱難の時代には、今よりもっと大勢の人々が水と御霊の福音を信じているでしょう。つまり、水と御霊の福音への信仰のために殉教する人がより多くいるということです。
黙示のみことばは、イスラエル人の救済だけを論じているのではありません。黙示録の時代がイスラエル人のためにだけあると信じるなら、その人はひどく誤っています。なぜでしょうか? 黙示録の時が訪れたとき、実に多くの異邦人が水と御霊の福音を信じることによって救われ、信仰を守るために殉教することになるからです。ですから、黙示のみことばについての知識が正しいか誤っているかによって、信仰に大きな違いを生じます。
よろしいですか、現在のキリスト教徒が大艱難前携挙の説を信じているのは、あれは誤りなのです。聖書は、聖徒の殉教は七年間の大艱難の中間点をわずかに過ぎた時点で起こるとしています。そして、携挙がその少し後に起こるのです。黙示のみことばは、各章句に記されているままに、そして水と御霊の福音の内で解釈するのです。そうすることによって、黙示のみことばを正しく知ることができるのです。
黙示録第 7 章は、異邦人の中の無数の人々もまた信仰によって救済を得、信仰のゆえに殉教するとしています。聖書は記されている通りに信じるのです。大艱難前携挙説ではなく、大艱難後携挙でもなく、千年王国否定説でもなく、神の定められた七つの時代を信じるのです。
黙示のみことばの第 1 章は導入部で、第 2 章と 3 章は聖徒の殉教、第 4 章はイエス・キリストが神であり、神の御座に着かれていることを述べています。第 5 章は、イエスがどのようにして父なる神のご計画をすべて全うされるかを、第 6 章は神のご計画になった七つの時代の全体的な構成を示しています。こうしたご計画はみな、黙示のみことばの中で解き明かされています。
黙示のみことばに「今から後、主にあって死ぬ者は幸いである」とあるように、今からは、聖徒はよみがえりと千年王国への希望をもって生きるのです。
黙示録第 8 章 10-11 節は、別の災害を描写してます。「第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川々の三分の一とその水源に落ちた。この星の名は苦よもぎとよばれ、 川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。」ここでは、たいまつのように燃えている巨大な星が河川や泉に落ちるとしています。たいまつのように燃えている巨大な星とは、隕石です。つまり、天が揺れ、星々が互いに衝突し、そのかけらが地上に落ちるのです。
黙示録第 8 章 12-13 節は、さらに別の災厄を語ります。「第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、 昼の三分の一は光を失い、また夜も同じであった。また私は見た。一羽のわしが中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。『わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に、あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。』」ここでは、昼が夜のようになって世界の三分の一が暗くなるとしています。
七つのラッパの災害がこうして始まるとき、おそらくみなさんも私も生きています。しかし、生きている聖徒たちはじきに殉教し、信仰によってサタンに勝利します。
黙示録第 6 章に明かされている七つの時代をはっきり知っていれば、何をするべきか、この時代にどんな信仰が必要なのかがわかるでしょう。水と御霊の福音を信じる人々は黙示録の時代に殉教するのですから、神の国への希望をもってこの時代に臨みます。この世に生きている間、聖徒は信仰によって終わりの時に備え、この信仰を広めることによって神の国を大きくするために働くのです。
みなさんは、神の定められた七つの時代を知り信じていますか? 自分が今黒い馬の時代にいるのだとわかりますか? 今、水と御霊の福音を知りも信じもしていないなら、地上にふりかかる艱難から逃れることはできません。ですから、今すぐ備えなさい。艱難を乗り越える信仰をもつには、第一に水と御霊の福音を信じてすべての罪を赦され、贈り物として御霊を受けて千年王国に入って生きる用意をするのです。
今用意なさい。後回しにして、七つのラッパの災害が訪れてはじめて水と御霊の福音を信じるのなら、数多くの艱難に臨むことになります。みなさんが水と御霊の福音を今この瞬間に信じて、新たに生まれ、神の民としての将来に備えられることを心から願っております。
 
神の定められた七つの時代
1.    白い馬:水と御霊の福音の始まりと継続の時代。
2.    赤い馬:サタンの時代の到来によって平和が破られる。
3.    黒い馬:物理的・霊的飢餓の時代。現在。
4.    青ざめた馬:反キリストの出現によって聖徒が殉教する時代。
5.    聖徒のよみがえりと携挙、そして子羊の結婚の祝宴の時代。
6.    最初の世界の破壊の時代。
7.    主と聖徒たちが支配する千年王国と新たな天と地の時代。
 
これが神の定められた七つの時代です。各時代についてはっきりと知り、水と御霊の福音を信じる人々が、終わりの時に生きる信仰を準備した人々なのです。みなさんもまた、神の定められた真の信仰の時代を見極められることを願い、祈ります。