説教集

主題 10: 黙示録

[第14章-2] (黙示録 14:1-20) 反キリストの出現に聖徒はどう対応すべきか

(黙示録 14:1-20)
 
近い将来に反キリストが出現したときに勝利するため、聖徒は主への信仰によって殉教する備えをしなければなりません。そのためには、反キリストがこの地上にもたらす邪悪な計画についてよく知っておく必要があります。そうしてはじめて聖徒は彼に敵対し、信仰によって勝利することができるのです。サタンは、反キリストの名または数の印を受けさせることでキリスト教徒の信仰を破壊しようとするでしょう。
サタンがキリスト教徒の信仰を破壊しようとするのは、神に敵対して義人の信仰を打ち破ることによって、人々が水と御霊の福音によって罪の赦しを受けることを妨げるためです。反キリストは人々を自分のしもべとし、神に敵対させようとします。このために、反キリストとまだ地上に残っているそれに従う人々は、激しい罰と災害とを受けることになります。
義人は、神が敵の上に注がれる七つの鉢の災害についてよく理解して信仰生活を送らなければなりません。神が申命記第 32 章 35 節で「復讐と報いとは、わたしのもの」とおっしゃっているように、神は子どもの死に復讐なさいます。ですから、聖徒は怒りにまかせて無益ことをするよりは、信仰を守り、勝利の生活を送るのです。自分たちの殉教の後、まだこの地上に残っている人々をすべて神が滅ぼされると信じて、聖徒は反キリストと戦うのです。
 
 
忘れてはならない真理のみことば
 
罪の赦しを受けた人々がみな心しておかなければならないことは、反キリストの弾圧を受け殉教した後、罪のない聖徒だけが間もなくよみがえりと携挙を受けるということです。反キリストが出現し、聖徒の殉教の日が訪れたとき、神の約束はすべて全うされるのだということを決して忘れてはなりません。
第 14 章の第 14 節以降、神のみことばは、聖徒のうえに必ず携挙が起こり、この携挙の時は殉教のすぐ後であると告げています。
よろしいですか、よみがえりと携挙とは、サタンが人々に印を受けさせた後で起こるのです。反キリストに弾圧されて殉教した義人には、最初のよみがえりと携挙の恵みが待っています。義人はこのとき、信仰を守るために聖なる殉教を受け入れます。サタンの印を受けることを拒むためです。そこで、殉教した義人は地上での働きに応じて報いを受け、神の栄光が添えらえます。
親しい仲間の聖徒やしもべが信仰を守るために殉教するのを見て、嘆いたり怒ったりしてはなりません。そうではなくて、すべての聖徒は、信仰を守って殉教できるようにしてくださる神に感謝し、栄光をささげるべきなのです。殉教のすぐ後に主によって聖い体によみがえらされ、携挙されるのですから。
 
 
神に敵対する者のために用意された七つの鉢の災害とは
 
第 19 節には、「そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた」とあります。常に神の愛に敵対していた人々は、聖徒が殉教した後で神から恐ろしい災害を受ける定めにあります。彼らはこの地上にいる間に、主がお与えになった水と御霊の福音を心に受けることを拒み、敵対したためです。こうした人々は、血と水とによって人間を罪からお救いになるためにおいでになったイエス・キリストの救済を信じないで、神の敵となった人々です。彼らは神の注がれる七つの鉢の災害だけではなく、恐ろしい地獄の罰を永遠に受けることにもなるのです。
主によって携挙されなかった人々の上に、神は七つの災害をもたらされるのです。聖徒の殉教の後、携挙に加わらず、まだサタンの奴隷として地上に残って神の栄光を冒瀆し続けている人々の上に、神は容赦なく七つの鉢の災害を注がれます。
では、なぜ神は義人を殉教おさせになるのでしょう? 義人が新たに生まれていない人々とともに地上に残っていたならば、時が来たときに七つの鉢の災害を注ぐことがおできにならないからです。神は義人を愛されますから、ご自分の栄光に加わるよう、彼らに殉教おさせになるのです。七つの鉢の災害を放つ前に義人を殉教させられるのは、このためです。神は殉教した聖徒をよみがえらせられ、携挙なさった後、七つの鉢の災害を思うさまに地上に注がれます。この七つの鉢の災害は、神が地上の人類の上にもたらされる最後の災害です。
 
 
千年王国と聖徒の権威
 
主が聖徒とともに再びこの地上に下られるとき、千年王国の時代が始まります。マタイの福音書第 5 章 5 節には、「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです」とあります。主が聖徒とともに地上に戻られるとき、詩篇第 37 章 29 節の「正しい者は地を受け継ごう」がすべて成就されます。
聖徒全員とこの地上に再臨なさるとき、主は彼らに地上を自分たちのものとする権威をお与えになります。このとき、主は十の都市とさらに五つの都市を支配する権威をお与えになります。主は戻られると、この地上とそこにあるすべてのものを新たになさり、その後千年間、聖徒にご自分とともに支配おさせになります。
では、この時代の義人は、どのような希望をもって生きるのでしょう? 彼らはキリストの御国がこの地上に築かれる日を願って生きるのです。主の御国が地上に実現すると、主の支配によりあふれる平和・喜び・恵みがついに地上に訪れます。主の支配の下では何ひとつ欠けることがなく、主の豊かさと完全さの中に生きるのです。
主の御国がこの地上に実現すると、義人の希望と夢がすべてかなえられます。この地上に千年間生きた後、義人は天の永遠の御国に入りますが、神に敵対した人々は、永遠の火と硫黄の池に投げ込まれ、昼も夜も絶え間なく永久に苦しむのです。
ですから、義人は主の再臨される日を待ち、希望をもって生きるのです。義人はみな殉教・よみがえり・携挙、そして永遠のいのちが自分たちのものであることを忘れてはなりません。ここまでお話しした真理のみことばと希望を常に心にもち、堅持しなさい。
主が再臨される日まで、義人は水と御霊の福音を説き、天の御国への希望をもって生きるのです。義人には、天の御国で永遠に生きる権威と、この地上で水と御霊の福音を説く権威とがあります。
 
 
この暗い時代に生きる聖徒は何をするべきか
 
この時代は闇の時代であることは明瞭で、そこで生きることは、ますます困難になりつつあります。ですから、罪人に水と御霊の福音を説き、はぐくまなければなりません。全世界で、義人はイエス・キリストによって与えられた水と御霊の福音からくる神の愛と罪の赦しとを広めるのです。これが義人のなすべきことです。
今の機会を逃しては、二度とはないのです。この世界の終わりはそう遠くないのですから、これまで以上に水と御霊の福音を宣べ広め、迷える魂に神の御国への希望を与えるのです。これが義人のするべきよい行ないです。
今のこの世界には、水と御霊の福音のみことばなしにイエスを信じると言い、主に仕えて生きる人が大勢います。しかし、ほんとうの真理を知ることなく信仰生活を送る人々はみな、にせ預言者です。こうした嘘つきは、イエスの名において物質的富を得ることだけを求めて人を欺く人々です。
ですから、こうしたにせ預言者に欺かれて信仰生活を送る人々は気の毒です。水と御霊の福音なしに信仰生活を送る、こうした名前だけのキリスト教徒は、イエスを信じると言いながら、罪人のままであり、神の律法の呪いのもとで生き続けるのです。彼らは常に罪の中に生きており、水と御霊の福音を信じさえすれば心の中の罪はただ消え失せ、雪のように白くなり、御霊が贈り物として与えられるのだということを知りません。
それに対して、水と御霊の福音を信じて説く神のしもべは、安らぎのうちに生きます。神のしもべと民とは、水と御霊の福音を喜びます。彼らはあかしします。「ヨハネに授けられたバプテスマで世の罪をその身に一度で被られ、そうした負った罪を十字架上で裁かれることによって、主イエスは世の罪のすべてを消されました。この贖いの救済を信じたとき、私の上に重くのしかかっていた罪もまた、すべて消えました。私は義人となったのです。」
こうした証言によって、神の教会の聖徒は神に栄光をささげています。この信仰をもつ人は、ついに天国への希望をもつことができます。
 
 
最初のよみがえりは聖徒のためのものである
 
間もなく、主はこの地上に再臨されます。そう遠くない未来に、反キリストとなる人物が現われ、多くの人々の右手か額にその印を刻印します。その時が来ると、それは、聖徒の殉教・よみがえり・携挙、そして主の再臨が迫っているということなのです。そうした時が訪れると、それは聖徒にとっては喜びの日ですが、新たに生まれていない罪人にとっては罪の裁きを受ける日なのです。
聖徒はみな殉教の後でよみがえりを受け、それから主とともに子羊の結婚の祝宴に加わります。そのときにみなさんと私が殉教すると、すぐに体はよみがえりを受け、携挙されます。私たちより前に死んだ聖徒の体がどうなったかは、問題ではありません。その体がすでに塵にかえっているか、あるいはもはや何も残っていないかは、どうでもよいことです。この時が訪れると、聖徒は現在の弱い体ではなく、完全な体によみがえるのです。義人はこのとき聖い体によみがえり、主とともに永遠に生きます。
反キリストが出現して聖徒を迫害する困難な時代が待ち受けていようとも、今お話ししている神のみことばを信じ、イエス・キリストへの信仰を守らなければなりません。また、みなさんと私は水と御霊の福音を信じているのですから、私たちはみな聖徒の殉教・よみがえり、そして携挙に加わります。
よろしいですか、この真理への信仰から離れることなく、反キリストと戦い勝利する生を生きるのです。その日が来るまで、私たちはこの真理を信じて私たちの前に救われた人々とともに神のみことばを堅持し、信仰をもって主に従うのです。
 
 
たった今も、大勢の嘘つきが人々を欺いている
 
たった今も、無数の人々が、サタンのしもべとして誤った信仰を教えています。とりわけ、大艱難前携挙説を唱えて会衆に教え、七年間の大艱難はその人たちとは関わりのないことであると信じさせようとしている嘘つきが大勢います。
それに対して聖書は、聖徒の殉教と携挙とは大艱難前半三年半をわずかに過ぎた時点で起こると明確にあかししています。嘘つきたちに欺かれてはなりません。そうではなく、七年間の大艱難の前半三年半が過ぎたとき、聖徒はみな殉教し、その後間もなくよみがえりを受け、同時に携挙されると知り、信じるのです。
ですから、七年間の大艱難とは全く関係がないと教えるにせ預言者からは遠ざかっていましょう。真の聖徒は、殉教・よみがえり・携挙、そして子羊の結婚の祝宴がみな、大艱難前半の三年半をわずかに過ぎた時点で起こると信じています。
 
 
では、今をどう生きるべきか
 
もうすでにおわかりのことと思いますが、主を救い主と信じるならば、すなわち、主がこの地上においでになり、ヨハネから授けられたバプテスマによって世の罪をすべて被られ、十字架上で血を流され、死者の中からよみがえられたと信じるならば、贈り物として御霊がその信者の心に宿るのです。
神の教会で御霊が言うことを耳で聞き、心で信じ、神への信仰のうちに住むのです。すべての聖徒は教会に導かれて信仰生活を生きます。一人きりでは誰ひとり水と御霊の福音を説くことも、守ることも、またそれに仕えることもできません。すでに新たに生まれた聖徒にとってさえ教会がとても重要なのは、このためです。
そこで、神は教会としもべとをこの地上に設けられ、それによって子羊たちを養われるのです。とりわけ、終わりの時が迫ってくると、神のわざはよりいっそう尊く重要になります。ですから、みなさんが御霊に満たされて忠実に生きられることを願い祈ります。終わりの時が近づくと、義人は集い、祈り、互いに助け合い、主のために生きるために一つの心と一つの目的をもって、いっそう励まなければなりません。
神は聖徒に殉教・よみがえり・携挙、そして永遠のいのちをお与えになります。みな、反キリストと戦い勝利するような生を生き、それから自信をもって神の御前に立ちましょう。ハレルヤ!